私たちの暮らしや経済活動は、自然環境の恵みによって支えられています。しかし近年、地球規模で生物多様性が急速に失われており、このままでは持続可能な社会の実現が困難になると懸念されています。そうした中で注目を集めているのが「ネイチャーポジティブ」という考え方です。環境への負荷を減らすだけでなく、自然を積極的に回復させることで、豊かな生態系を取り戻そうとする新しい環境戦略として、世界中の企業や政策で導入が進んでいます。この記事では、ネイチャーポジティブの基本から実践方法まで、初心者の方にもわかりやすく解説します。
この記事では、以下の内容をわかりやすく解説します。
- ネイチャーポジティブが生まれた背景と国際的な位置づけ
- 企業や社会にもたらす具体的なメリット
- 実際に取り組んでいる国内外の企業事例
- これから始める方向けの実践ステップ
- よくある疑問への回答
ネイチャーポジティブとは

ネイチャーポジティブとは、自然環境を積極的に回復・再生し、生物多様性を向上させる考え方です。従来の「環境への影響を減らす」という守りの姿勢から一歩進んで、「自然を豊かにする」という攻めの姿勢へと転換する概念として、世界中の企業や政策で注目されています。
自然環境の回復は、私たちの暮らしやビジネスにどのような変化をもたらすのでしょうか。初心者の方にも理解しやすいよう、丁寧に説明していきます。
ネイチャーポジティブが注目される背景

ネイチャーポジティブという概念が世界的に注目を集めるようになった背景には、地球規模での生物多様性の急速な減少と、それに対する危機感の高まりがあります。国連環境計画の報告によれば、過去50年間で野生生物の個体数は平均して約7割減少したとされ、このままでは人類の生存基盤そのものが脅かされる可能性が指摘されています。こうした状況を受けて、2022年12月にカナダのモントリオールで開催された国連生物多様性条約第15回締約国会議では、「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が採択されました。この枠組では、2030年までに生物多様性の損失を食い止め、回復軌道に乗せるという目標が掲げられ、ネイチャーポジティブという言葉が国際的な共通言語として定着するきっかけとなりました。
従来の環境保護活動は、主に環境への悪影響をいかに減らすか、つまり「ネガティブインパクトの削減」に焦点が当てられていました。しかし、減らすだけでは失われた自然を取り戻すことはできません。ネイチャーポジティブは、環境負荷をゼロにするだけでなく、さらに一歩進んで自然資本を増やし、生態系を積極的に回復させることを目指します。この考え方は、気候変動対策における「カーボンニュートラル」の概念と対をなすものとして位置づけられ、企業の持続可能性戦略において重要な柱となっています。
日本国内でも、環境省が「ネイチャーポジティブ経済」の実現を政策目標に掲げ、企業や自治体に対して自然再生への投資を促す仕組みづくりを進めています。特に、森林保全や河川の生態系回復、都市部での緑地創出など、具体的なアクションプランが示されており、官民連携による取り組みが加速しています。
国際的な枠組みとの連動
ネイチャーポジティブの推進は、国際的な環境目標と密接に連動しています。前述の昆明・モントリオール生物多様性枠組では、2030年までに陸域と海域のそれぞれ30パーセントを保護区域とする「30by30目標」が設定されました。この目標達成には、政府だけでなく企業や市民社会の積極的な参加が不可欠であり、民間企業による自然再生活動への投資が重要な役割を果たします。
また、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)という国際的なフレームワークも策定され、企業に対して自然資本への依存度やリスク、機会を開示することが求められるようになりました。これにより、投資家やステークホルダーは企業の自然環境への取り組みを評価できるようになり、ネイチャーポジティブへの移行が企業価値に直結する時代となっています。
気候変動対策との相乗効果
ネイチャーポジティブは、気候変動対策とも深く結びついています。森林や湿地、海洋などの健全な生態系は、大気中の二酸化炭素を吸収・貯蔵する重要な役割を担っており、自然環境の回復は気候変動の緩和に直接貢献します。
逆に、生態系が破壊されると、蓄えられていた炭素が大気中に放出され、温暖化を加速させてしまいます。このように、生物多様性保全と気候変動対策は表裏一体の関係にあり、両方に同時に取り組むことで相乗効果が期待できます。
ネイチャーポジティブがもたらすメリット

ネイチャーポジティブへの取り組みは、環境保護という社会的意義だけでなく、企業や地域社会に具体的なメリットをもたらします。まず、企業にとって最も重要なメリットの一つは、ESG投資の獲得です。近年、投資家は財務情報だけでなく、環境・社会・ガバナンスの観点から企業を評価するようになっており、自然資本への配慮は投資判断の重要な要素となっています。TNFDに基づく情報開示を適切に行い、ネイチャーポジティブな事業活動を実践する企業は、投資家からの信頼を得やすく、資金調達の面で有利になります。実際に、自然再生プロジェクトに積極的に取り組む企業の株価パフォーマンスが市場平均を上回る傾向が見られ始めています。
次に、ブランド価値の向上が挙げられます。消費者の環境意識が高まる中、自然環境への配慮を明確に示す企業は、顧客からの支持を得やすくなります。特に若い世代を中心に、製品やサービスを選ぶ際に企業の環境姿勢を重視する傾向が強まっており、ネイチャーポジティブへの取り組みは競争優位性につながります。また、従業員のエンゲージメント向上にも効果があり、環境問題に真剣に取り組む企業には優秀な人材が集まりやすくなるという人材確保の面でのメリットも指摘されています。
事業リスクの低減
自然資本への依存度が高い産業、たとえば食品・飲料、繊維、製薬などの分野では、生態系の劣化が直接的な事業リスクとなります。原材料の安定供給が脅かされたり、調達コストが上昇したりする可能性があるためです。ネイチャーポジティブな調達方針を採用することで、長期的な原材料の安定確保が可能になり、サプライチェーンの強靭性が高まります。
さらに、規制リスクへの対応という側面もあります。世界各国で環境規制が強化される傾向にあり、生物多様性への悪影響を与える事業活動に対する規制や課税が導入される可能性があります。早期にネイチャーポジティブへ移行することで、将来の規制変更に柔軟に対応でき、コンプライアンスコストを抑えられます。
新たなビジネス機会の創出
ネイチャーポジティブは、新しい市場やビジネスモデルを生み出す可能性も秘めています。自然再生技術やサービス、エコツーリズム、生態系サービスへの支払い制度など、自然資本を活用した新しい事業領域が拡大しています。企業が自然再生プロジェクトに投資することで、地域経済の活性化や雇用創出にもつながり、社会的価値と経済的価値の両立が可能になります。
国内外の企業事例

ネイチャーポジティブの実践例として、グローバル企業の先進的な取り組みが参考になります。食品大手のネスレは、グローバル森林再生プログラムを展開し、2024年末までに主要原材料(肉、パーム油、パルプと紙、大豆、砂糖、カカオ、コーヒー)の一次サプライチェーンにおいて93.5パーセントが森林破壊ゼロと評価される水準を達成しました。同社は、農場評価、認証、衛星モニタリングなどのツールを活用してトレーサビリティを確保し、サプライチェーン全体での自然再生を進めています。この取り組みは、外部評価機関からも認められ、2023年にはWorld Benchmarking AllianceのNature Benchmark部門で1位を獲得しています。
参考:ネスレ日本
消費財メーカーのユニリーバも、持続可能な調達に力を入れています。同社は2023年までにパーム油、紙・ボール紙、茶、大豆、ココアのサプライチェーンにおける森林破壊をゼロにするという目標を掲げ、2023年末時点で主要作物の97.5パーセントを森林破壊ゼロで調達することを達成しました(第三者機関による保証済み)。また、衛星データを活用して東南アジアの2,000万ヘクタールを超える地域で森林破壊が行われていないか監視する体制を整え、パーム油の原料となるアブラヤシを育成している国々で3万6,000の小規模農家のマッピングを完了しています。さらに、2030年までに150万ヘクタールの土地、森林、海洋の保護と再生を支援する目標も掲げています。
参考:ユニリーバ・ジャパン
金融機関の役割
銀行や保険会社などの金融機関も、融資や投資の判断においてネイチャーポジティブの視点を取り入れ始めています。自然資本へのリスク評価を行い、環境負荷の高い事業への融資を控える一方、自然再生プロジェクトへの優遇金利での融資や、グリーンボンドの発行支援などを通じて、企業のネイチャーポジティブへの移行を後押ししています。
自治体や地域コミュニティの実践
企業だけでなく、地方自治体や地域コミュニティでもネイチャーポジティブの取り組みが広がっています。ある地方都市では、市民参加型の里山再生プロジェクトを立ち上げ、放置された森林の手入れや在来種の植樹を行っています。こうした活動は、地域の生物多様性を回復させるだけでなく、住民の環境意識の向上やコミュニティの絆を強める効果もあり、社会的な意義が大きいとされています。
ネイチャーポジティブの実践ステップ

これからネイチャーポジティブに取り組む企業や組織にとって、どこから始めればよいのかが重要な課題です。
まず第一ステップは、現状把握です。自社の事業活動が自然環境にどのような影響を与えているか、また自然資本にどの程度依存しているかを評価します。この際、TNFDのフレームワークやSBTN(Science Based Targets for Nature)などの国際的なガイドラインを活用すると、体系的な評価が可能になります。具体的には、事業所周辺の生態系調査、サプライチェーン全体での環境影響評価、水資源や原材料の使用状況の把握などを行います。
第二ステップは、目標設定です。現状評価の結果を踏まえて、2030年や2050年といった中長期の目標を設定します。目標は、定量的で測定可能なものにすることが重要です。たとえば、「事業所周辺の在来種の個体数を5年間で20パーセント増加させる」「サプライチェーンにおける森林破壊ゼロを2025年までに達成する」といった具体的な数値目標を掲げます。目標設定の際は、科学的根拠に基づき、実現可能性と野心性のバランスを取ることが求められます。
第三ステップは、アクションプランの策定と実行です。目標達成に向けた具体的な施策を計画し、実行に移します。施策の内容は企業の業種や規模によって異なりますが、代表的なものとして、持続可能な調達方針の導入、事業所での緑地整備やビオトープの創出、地域の自然再生プロジェクトへの資金提供や人材派遣、環境配慮型製品の開発などが挙げられます。実行段階では、社内の関連部署や外部のステークホルダーと連携し、組織全体で取り組む体制を構築することが成功の鍵となります。
モニタリングと情報開示
第四ステップは、進捗のモニタリングと評価です。設定した目標に対してどの程度進展しているかを定期的に測定し、必要に応じて計画を見直します。生物多様性の指標は複雑で測定が難しい場合もありますが、専門家の協力を得ながら適切な評価手法を確立することが重要です。また、測定結果を記録し、データを蓄積することで、取り組みの効果を長期的に追跡できます。
第五ステップは、情報開示とコミュニケーションです。ネイチャーポジティブへの取り組みと成果を、投資家や顧客、地域社会に対して積極的に発信します。統合報告書やサステナビリティレポート、ウェブサイトなどを通じて透明性の高い情報開示を行うことで、ステークホルダーからの信頼を獲得できます。また、成功事例だけでなく、課題や失敗から学んだ教訓も共有することで、他の企業や組織の参考になり、社会全体のネイチャーポジティブへの移行を加速させることができます。
外部リソースの活用
ネイチャーポジティブの実践には専門知識が必要な場合が多く、外部の専門家やコンサルタント、NGOとの協力が有効です。生態系の専門家による調査や助言、環境認証の取得支援、国際的なイニシアチブへの参加などを通じて、より効果的な取り組みが可能になります。また、業界団体や同業他社との情報交換や共同プロジェクトも、知見の共有や規模の経済を活かす上で役立ちます。
よくある質問

Q1:ネイチャーポジティブとカーボンニュートラルの違いは何ですか?
カーボンニュートラルは温室効果ガスの排出を実質ゼロにすることを目指す取り組みで、主に気候変動対策に焦点を当てています。一方、ネイチャーポジティブは生物多様性の回復と自然資本の増加を目指す概念です。両者は密接に関連しており、健全な生態系は炭素を吸収する役割を果たすため、ネイチャーポジティブの取り組みは気候変動対策にも貢献します。企業や組織は、両方の目標を統合的に推進することで、より包括的な環境戦略を実現できます。
Q2:中小企業でもネイチャーポジティブに取り組めますか?
もちろん可能です。大規模なプロジェクトでなくても、事業所周辺の緑化や在来種の植樹、地域の清掃活動への参加、持続可能な原材料の選択など、小さな取り組みから始められます。重要なのは、自社の事業特性に合った実践可能な活動を見つけ、継続することです。地域の自治体やNGOと連携することで、専門知識やリソースを補完しながら効果的な取り組みが可能になります。
Q3:ネイチャーポジティブの効果はどのように測定しますか?
生物多様性の測定には、生物種の数や個体数、生態系の面積、水質や土壌の状態など、さまざまな指標があります。企業の取り組みに応じて適切な指標を選び、定期的にモニタリングします。専門家による生態系調査や、衛星画像を活用した植生分析、市民科学プロジェクトへの参加なども有効な手段です。また、SBTNなどの国際的なフレームワークが提供する測定ガイドラインを参考にすると、標準化された評価が可能になります。
Q4:ネイチャーポジティブに取り組むコストはどのくらいですか?
取り組みの規模や内容によって大きく異なります。小規模な緑化活動であれば比較的少額で始められますが、大規模な森林再生プロジェクトや調達方針の全面的な見直しには相応の投資が必要です。ただし、長期的には事業リスクの低減や新たな収益機会の創出につながるため、投資対効果を中長期で評価することが重要です。また、政府の補助金や環境ファンドからの支援を活用できる場合もあります。
Q5:個人としてネイチャーポジティブに貢献できることはありますか?
個人でもできることはたくさんあります。地域の自然再生活動やボランティアへの参加、環境配慮型製品の選択、庭やベランダでの在来植物の栽培、野生生物の観察記録への協力などが挙げられます。また、企業や自治体のネイチャーポジティブな取り組みを支持し、声を上げることも重要です。日常の小さな選択や行動の積み重ねが、社会全体の自然環境の回復につながります。
まとめ

ネイチャーポジティブは、自然環境を単に守るだけでなく、積極的に回復させることで生物多様性を向上させる新しい環境戦略です。国際的な目標として掲げられ、企業の投資判断や事業リスク管理において重要な要素となっています。企業にとってはESG投資の獲得やブランド価値向上といったメリットがあり、社会全体としては持続可能な未来の実現につながります。現状把握から目標設定、実行、モニタリング、情報開示という段階的なステップを踏むことで、誰でも取り組みを始められます。一人ひとりの行動が自然の再生を促し、豊かな地球環境を次世代に引き継ぐ力となります。